JASE e-booklet

編集・発行/日本性教育協会(JASE)

朝山新一

第2章

朝山新一の性行動調査

片瀬 一男

1. 朝山新一の業績と履歴

1.1 朝山の貢献の意義

 日本性教育協会の設立者の1人である朝山新一(1908-78年)の戦後の仕事は、その著書『性の記録』(朝山 1957)に付けられた副題「戦後日本人の性行動を科学的に調査した資料に基づく」に約言することができる。朝山は1940年代の末から、関西圏を中心に青少年(高校生・大学生)だけでなく、成人(未婚者・既婚者)も対象とした性行動や性意識に関する社会調査を精力的に実施するとともに、日本性教育協会の「第1回青少年の性行動全国調査」(日本性教育協会 1975)で調査委員会(1)の代表を務めている。また調査を企画するにあたって、参考にしたキンゼイらの報告書(Kinsey 1953=1954)をはじめ、海外の研究動向(Money and Tucker 1976=1979)を日本に紹介した。さらに青少年の性行動調査の成果をもとに、学校における性教育に関して独自の提言を行うとともに、一般向けの啓蒙書として『性教育—教師と両親のためのテキスト』(朝山 1967)を著して、日本における性教育の普及にも貢献している。つまり、性行動調査のような実証的研究から得られた科学的知見をもとに日本の性教育に提言を行ったことが、朝山の最大の貢献ということができる。

1.2 朝山新一の経歴と性行動調査の目的

 こうした朝山の貢献は、彼の経歴(日本性教育協会 1979: 22-4)をたどってみると、その背景が分かる。朝山は1908年(明治41年)に京都府に生まれ、1934年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業した。同大学大学院修了後、1941年に満州国立農業大学教授となったものの、1944年に召集され、中国東北部で従軍していた。この時期、現地で中国人の性行動について資料を集めていたともされるが詳細は不明である。ただ、朝山自身はこの時代を「もっとも起伏の多い経験をした」と述べていた、とされる(斎藤 2010: 176)。また、1946年の帰国船の中で後の性行動調査の調査票作成に着手したとも言われる(2)。帰国後の1947年には神戸経済大学予科教授となる。49年から大阪市立大学理工学部教授(生物学教室動物発生形態学)、理学部長 (1967-69年) を経て、71年3月に定年によって退職し、大阪市立大学名誉教授となった。

 このように朝山の研究者としての出発点は、動物学とくに発生生物学にあった。ただし、のちに触れるように、戦前期から、かつて京都帝国大学理学部講師を務めたこともあった生物学者・山本宣治(3)らの人間の性行動調査にも関心をもっていた、とされる(4)。戦後になって動物の発生学から人間の性行動の研究に転じた理由について、朝山(1959: 7-17)は次のように述べる。まず、朝山にとっては、人間の行動は、社会的要因と生物的要因の関数と表現される。このうち社会的要因から見ると、まず終戦によって日本の前近代的な性規範が解体されたものの、若い世代はまだ民主的な社会の規範によって自らの行動を律することに慣れていない(5)。その結果、若者の「性の乱れ」がジャーナリスティックに喧伝されるが、その実態が実証的に把握されていないため、新しい性教育の指針が打ち出されていない。

 他方、生物的要因に着目すれば、敗戦の混乱期のように社会規範が弛緩してその拘束力が弱まった場合には、人間の行動は生物的要因の影響をより強く受けるはずである。それゆえ、こうした時代にこそ、性行動は「[人間の]ありのままの生態を生物学的立場から考えるのにきわめて重要な対象」(朝山 1957: 10 [ ]内引用者補足)となるので記録しておく必要がある。この点では、朝山にとって、性行動の研究は生物学の研究領域でもあった(斎藤 2010: 176-7)。こうした2つの動機すなわち①急激な社会環境の変動(たとえば男女共学の実施)のなかで、戦後世代の性教育の基盤となる科学的知見を獲得すること、そのために②社会規範の解体というアノミー状態で、生物としての人間の性行動の実態を解明する、という目的から、朝山は性行動の研究を1948年から開始した(6)

2.戦後日本の性教育の状況:1940年代後半から70年代まで

 このように朝山の性行動調査の目的の1つは、戦後の民主的な性教育を実施するために、当時の青少年の性行動を科学的に把握することにあった。こうした動機の背景には、当時の性教育に関する行政の取り組みに、彼が不満や危惧を抱いていたことがあったと考えられる。そこで、朝山の性行動調査の検討に入る前に、当時の性教育に対する行政の取り組みについて概観しておこう。というのも、1940年代後半以降、日本の中等教育段階の性教育の基本指針が、いわゆる「純潔教育」すなわち結婚当事者間のみに性的交渉を認め、それまでは性行動を抑制するという規範を教え込むという道徳主義的教育にあったからである。

2.1 私娼問題から男女共学・交際問題へ

 まず戦後における性教育・指導に関する行政の取り組みの嚆矢は、1946年11月の厚生省・文部省・内務省・労働省(当時)の省庁横断的な次官会議決定「私娼の取り締まり並びに発生の防止と保護対策」であるとされる(小山 2014: 16, 斎藤 2014: 37-41) 。この決定では、同年2月に公娼制度(遊郭=管理売春)が廃止され、その後は集団売春街(旧遊郭)を赤線として事実上、制度化する一方で、「赤線」以外の「青線」で「自由恋愛」として主にアメリカ兵に売春をする「私娼=闇の女」(いわゆる「パンパン」)を取り締まる方針が決められた。この点で、戦後日本の性教育の出発点は、公娼制度廃止後の風俗対策すなわち「私娼」の発生を防止するために立案された「社会教育」 であって、文部省(当時)所轄の性教育の一環ではなかった。それは、私的な売春の取り締まりとともに、女子の啓発によって、不特定多数への売春による性感染症の蔓延を防止する厚生行政に属するものであった。

 斎藤(2014: 37-41)によれば、この次官会議決定における私娼対策には2つの柱があったという。1つは、戦前の公娼制度(遊郭)廃止後の風俗対策である。この対策のもとでは、公娼は法的・形式的には廃止するが、売春は「社会上止むを得ない悪」として実際には容認し、「特殊飲食店」(7)という装置下で警察が統制することになった。これは、いわば事実上、戦前の遊郭の黙認制度の継承とみてよいだろう。2つめは、私娼の発生防止とその保護のための対処である。「次官会議決定」では、文部省は、このうち前者の「公娼制廃止後の風俗対策」には関わらず、後者の「私娼発生防止」のみに関わることになった(8)。また、この「次官会議決定」では「性教育」という用語も使われていない。

 これに対して、1947年に教育基本法が公布され、その第5条で「男女は、互に敬重し、協力し合わなければならないものであつて、教育上男女の共学は、認められなければならない」とされ、特に国公立の高校においては、男女の共学が原則となった(9)。小山(2014: 18-20)によれば、この男女共学制度の実施という制度的変化が、日本の性に関する教育、とくに次項で述べる「純潔教育」に対して大きな影響を与えたという。

2.2 純潔教育の登場

 戦後の日本における「純潔教育」の出発点と言われるのは、1947年に文部省社会教育局長が各都道府県に出した「純潔教育の実施について」という通達だと言われる(田代 2021: 27)。この通達は、社会教育局長から発出されたことからも分かるように、社会教育(とくに私娼対策)に重きがあったと考えられる。ただし、この通達にもとづき、文部省に学識経験者40名からなる「純潔教育委員会」が構成された。この審議会答申は1950年に「男女の交際と礼儀」として出されたが、この答申が作成される過程で「純潔教育」はGHQの民間情報局の意向も反映して、社会教育から学校教育の対象へと移し替えられていったと考えられる。

 ただし、この「男女の交際と礼儀」 答申が決定された経過は、斎藤 (2010: 41-8)によると、従来は「次官会議→純潔教育通達→純潔教育委員会の設置」と考えられてきた(文部省社会教育局 1967)が、実際は「次官会議→2回のGHQとの交渉→純潔教育通達→純潔教育委員会の設置」であったという。このうち、1946年末のGHQとの2回にわたる交渉では、街娼対策としての指導的介入から、GHQの主張する「健全性教育(wholesome sex education)」を容れて学校における「純潔教育(purity sex education)」へ方向転換がなされた。その結果、地域の実情にあった「純潔教育」を実施するために、各都道府県に「純潔教育委員会の設置」を指示するとともに、「男女平等」「人格の尊重」という原則も謳われた。 こうして、純潔教育施策は、「次官会議決定」を受けて私娼防止を目的として当初、立案されたものの、GHQの強力な指導のもと、男女平等原理を入れながらも、生徒・学生を対象とする性行動への「教育的介入」へと変質したことになる。というのも、この「答申」では、男女は友情と恋愛を混同することなく、友情をはぐくむことの重要性が強調さていた。それと同時に、男女の交際はグループ交際が望ましく、純潔を守ることが「正しい男女交際」であるとされたからである(小山 2014: 20-1)。つまり、①性教育の実施主体となる「純潔委員会」の設置、②街娼対策のための「社会教育」から、男女平等原理を実現するための「学校教育」へと組み替えたのもGHQの強力な指導によるものであった(10)

 しかし、学校における性に関する指導の主たる目標は、「純潔教育」すなわち男女の性的接触を結婚まで禁止もしくは抑制することに主眼があった(11)。また、そこでは性道徳の涵養が重視され、科学的知見を踏まえた教育とはなっていなかった。

3.朝山の性行動調査の展開

3.1 性行動調査とその理論的枠組み

 このような性教育の状況のなかで始められた朝山の研究活動は、朝山(1967: 2-16)にもあるように、文部省『社会教育における純潔教育の概況』(1967年)を批判し、観念的・道徳主義的な「純潔教育」(処女性の重視)から、科学的知見にもとづく「性教育」へ転換することで、戦前の前近代的な男女関係からの脱却を目ざすことにあった。そのため、キンゼイ報告(1953=1954)なども参考に日本人(とくに青少年)の性行動に関する実証的調査を実施する必要があった。このうち生徒・学生を対象とした調査に関しては遺稿となった日本性教育協会(1979: 19)(12)の一覧表(表2-1)には、1922-28年の山本宣治・安田徳太郎の調査から朝山が亡くなった1978年まで調査の概要が示されている。この表題は「日本人学生の性行動調査の一覧」となっているが、対象者の欄から分かるように成人も含んでいる。

 また実際に今回の調査票の整理・検討からみて、この間、朝山は少なくとも50回にわたる調査を行っており、調査票の種別だけで20種類にのぼることがわかった。その詳細は本章末でダウンロードできる付表に示した(なお付表の一番右の欄に示したURLからは各調査票の原票もPDFファイルで閲覧できる)。

 この付表に示された調査票から言えることは、朝山が、この時期、対象者(とくに性別・年齢)を変え、何回も繰り返し調査を行っていることである。当初は高校生・大学生など青少年が中心だったが、その後は都市部の未婚者や既婚者(社会人)、労働者(労働組合員)や農村の男女だけでなく、中学生・高校生やその母親を対象にした調査もある。このことは朝山の関心が次第に拡大していったことを示していると考えられる。

 また朝山が、山本・安田の戦前期の調査も含めて時点間の比較を行ってきた背景には、朝山独自の性行動に関する理論枠組があった。先にも触れたように、朝山(1957: 8-11)によれば、人間の行動は、人間に本来備わった生物学的要因に対して社会的・歴史的要因が働き、両者の相互干渉が生み出した結果の総合として生じてくる。したがって、行動(Bh)は生物的要因(B)と社会的要因(S)の関数すなわちBh=f(S,B)で表せるという。

 たとえば、朝山(1967: 45-6)によると、女子の初潮経験の累積経験比率が50%を超える年齢(中央値)は、1948年調査では13.6歳であったが、52年調査では14.0歳と遅れ、58年調査では12.2歳と再び早期化している。これは戦時下(1941-45年)に思春期を過ごした女子(52年調査)で初潮年齢の中央値がそれ以前に比べて遅れ、その後、栄養状態の改善によって早期化したものと考えられるという。この例は女子の第二次性徴の発現という生物的要因に対する社会的要因の影響であるが、性行動という人間の欲求(およびその制御)として現れる現象では、この2つの要因の影響関係はより複雑な様相を呈すると、朝山はいう。たしかに、社会的要因が安定しているとき、人間は環境条件に適応して行動することができる。ところが、敗戦直後のように社会規範が急速に解体したアノミー(Durkheim 1930=1985)の時期には、従来の社会的要因では人間行動が制御しにくくなるので、「生物的な要因が、行動支配の特質の動因として主導的な姿を現してくる」という。したがって、終戦後の性に関わる行動は人間の「ありのままの生態を生物学的な立場から考えるのにきわめて重要な対象となる」(1957: 10)。この点では、先にもみたように、朝山による性行動研究は一義的には生物学的研究の延長線上にあったと言える(13)

 しかし、斎藤(2010: 176)も指摘するように、朝山の研究は単に生物学的研究に留まらず、その科学的知見をもとに、戦後という新しい時代の性規範の形成に貢献する性教育を構想することにも主眼があった。これについては、次章における朝山の性教育に関する検討に譲り、以下では性行動調査の知見を検討していく。その際、付表にあるように、もっとも有効回答数が多いのは、「性生活調査表E」による調査(調査時点は1950年~58年)であり、対象者は学生・生徒だけでなく社会人も含んでいる。このなかから高校生・大学生のサンプルを選んで書かれたのが、朝山(1957: 7-84)の前半部「学生の性生活」「高校生の性経験」「男女大学生の性生活」であったと考えられる(14) 。そこで、次項では付表にある「性生活調査表E」を中心に青少年の性行動調査の内容と分析手法および知見を検討する。

3.2 青少年の性行動調査

 3.2.1 性行動調査の内容

 まずこの「性生活調査表E」の内容を見ておこう(具体的な設問・選択肢は原票参照のこと)。この調査票の問Ⅰでは、性別・年齢・健康状態また身長・体重および本人と家で信仰する宗教といった基本事項(社会調査では「フェイス・シート項目」と呼ばれる事項)を尋ねている。次に問Ⅱは、生活歴に関する質問群で、幼児期・小学校・中学校・高校時代における生育環境(生地が外地・内地か、内地の場合はその都鄙度)と親の職業、暮らし向きなどが聞かれていている。また現在については、これらの項目に加えて家族構成、大学生の場合、学部のほか居住形態、部屋の広さ、通学方法、1か月の生活費とその主たる獲得方法が尋ねられている。他方、問Ⅲは結婚関係として、未婚・既婚の別(離死別も含む)、また独身者には独身でいる理由、将来の結婚意向の有無、同棲経験者にはその相手の職業・年齢、産児調整(避妊)の有無とその方法、同棲の動機などが聞かれている。

 これに対して、問Ⅳからが、性行動に関わる設問となっており、問Ⅳでは接近欲求の有無とその初発年齢、問Ⅴでは接触欲求の有無とその初発年齢が尋ねられている。

 さらに問Ⅵでは、キス欲求の有無とその初発年齢、キス経験の有無(ある場合はその経験年齢、相手の年齢・職業など、動機、時刻、場所など)、また問Ⅶでは性交欲の有無とその初発年齢、性交経験の有無を聞いたうえで、性交経験がある場合は、経験年齢、相手の年齢・職業など、動機・場所・季節・時刻、性交に関する知識の有無(ある場合は情報源)、態度・評価、避妊の知識と実行、これまでの性交相手数、現在の性交相手の有無(ある場合には相手の職業および性交頻度など)など詳細な情報が集められている。加えて、性交経験がない者には、その理由が尋ねられている。

 最後の問Ⅷは、性感染症に関する問で、感染経験の有無(ある場合は、年齢、相手、治療の有無や機関、感染症の種類など)が尋ねられている。これらの項目からみて、朝山が代表となって1973年から日本性教育協会によって始められた「青少年の性行動全国調査」の主要な項目が、この時点で入れられたことになる(15)

 3.2.2 性行動の分析手法

 次に、分析手法であるが、朝山は、性行動の生物学的側面が社会的・歴史的要因にどのように影響されて実際の性行動の発現に結びつくかに主要な関心があったので、部分的には山本・安田調査の結果も踏まえて、戦前・戦後の学生の性行動の比較もしている。この性行動の時代的変化を記述するために朝山が主として用いた手法は、先の初潮年齢の時代的変容の記述(中央値)のもとになっていた累積比率曲線の変化であった。まず累積比率分布とは、累積度数の比率の分布を意味するが、累積度数とは「その値以下の観測値の度数の和をとったもの」(片瀬・高橋・阿部 2015: 43)である。たとえば、朝山(1957: 39)のデータの表にある男子高校生における性的関心の初発年齢から例示すると、表2-2のようになる。

 この表では、まず1952年の対象者に「初めて性的関心を感じた年齢」を聞いた回答結果の頻度が第2列の「度数欄」に示されているが、この度数を年齢の低い順に当該年齢まで足していったものが累積度数となる。たとえば、10歳の累積度数は2+2+6=10となるが、このことは10歳以下で性的関心を経験した者が10人いたことを意味する。その最後の行(21歳)で累積度数は標本数の合計343となる。この累積度数を年齢ごとに標本数の合計(343)で割ったものが累積比率となり、最後の行では100%となる。この累積比率によって、ある値(この場合は性的関心の初発年齢)の相対的位置を記述することができる。たとえば、先の初潮年齢と同じく中央値を求めると累積比率の50%を含む区間なので15歳、すなわち15歳までに性的関心を経験した者が半数を超えることになる(16)

 この表にある累積比率をグラフで表現したものが累積比率曲線である。図2-1は朝山(1957: 40)が1948年と52年の男女および1925年の男子(山本・安田の調査)について、この累積比率曲線を比較したものである。この図からは次のことが分かる。

グラフ「性的関心の初発年齢の累積比率分布の比較」

図2-1 性的関心の初発年齢の累積比率分布の比較(朝山 1957: 40)

 まず第一に、1948年でも52年でも男女とも性的関心の累積経験率は年齢を追うごとにS字を描いて上昇する点では共通している。しかし、第二に、この男子の曲線(実線)は15歳以降、急激に上昇していくのに対して、女子の累積比率曲線(破線)はよりなだらかに上昇している。このことは、10代の女子の性的関心の発達は男子に比べて緩慢であることを意味する。第三に、1948年(細線)と比べると、52年(太線)では、とくに男子においてS字の立ち上がりの開始が右(年齢の高い側)にあり、性的関心の初発年齢がこの間に遅くなっていることがわかる。さらに第四に、図中にある1924-25年の山本・安田の調査結果から得られた累積比率分布曲線をみると、男子の性的関心の初発年齢は10代前半から急激な発達を見せており、曲線の形状は戦後の朝山の調査に比べて左(年齢の低い方)に寄っている。グラフから見る限り、中央値は1925年では10歳程度であるが、1952年では先の表2-2で見たように、15歳であったので、性的関心の発達という点では戦前期に比べて戦後では後傾化していることになる(17)

 3.2.3 性行動調査の知見

 このような分析方法で得られた大学生の性行動の知見から、朝山(1957: 80-83)は次のような結論を導き出す。まず1948年の最初の調査(朝山 1949)で対象となった学生は、昭和の金融恐慌が始まった1927年(昭和2年)頃に出生し、性成熟期の前半(13-14歳)を日中戦争からアジア・太平洋戦争期(1937年-45年)に過ごし、18歳頃に敗戦を迎えている。したがって、この出生コーホートは、成熟期の前半は戦時下の学徒勤労動員などで自由を抑圧された経験をし、成熟期の後半は敗戦・敗戦後の混乱期で迎え、その抑圧からの解放を体感した世代であった。これに対して、朝山(1957: 57-84)が1952年の調査で分析した大学生の世代は、1933年頃に生まれ、性的成熟期に入ったのは新憲法や教育基本法(六三制の男女共学など)が施行された1947年頃で、それは「成熟期の前半は、共学で新憲法の理念と人間の権利を教えられ、・・[女性の]人権と地位の向上が大いに説かれ」た時代であった。

 この2つの出生コーホートの性経験の違いを、朝山(1957: 80-81)は、とりわけ女子学生におけるキスの欲求と行動(または経験)の「交叉点」の移行に見出す。女子学生におけるキス欲求と経験の「交叉点」とは、女子の累積キス経験比率がキス欲求経験比率を上回る点、すなわち図2-2では1948年調査のA点、52年調査ではB点にあたる。

 すなわち、どちらのコーホートでもこの「交叉点」の年齢以降では、女子の累積経験率が欲求率を上回っている。このことは女子学生のなかには、キス欲求をもたないまま経験している者が多いことを意味する(朝山 1957: 65-67)。これはキス行動における男子の能動性と女子の受動性を示すものと朝山は解釈する。実際に、初めてのキス経験の動機に関する回答を見ると、どちらの世代の調査でも男女とも「恋愛」が最頻値であるが、1948年調査でも52年調査でも第2位は、男子では「性欲」、女子では「相手の誘惑」が第2位である(朝山 1957: 71)(18)。しかし、この交叉点は図2-2にも示されたように、1948年調査では16-17歳の間にあった(A)が、52年調査では20-21歳の間(B)と年齢が上昇している。このことについて、朝山(1957: 81)は、戦後の人権意識や学校教育のもとで育った世代では、女性の「自主性」が高まった証左であるとしている。

 このようにして、朝山の研究は、性的成熟という生物学的現象もその時代の社会的・制度的要因の影響を受けて発現の様相が異なることを指摘している。この点で、敗戦直後の青少年の性行動の研究は、生物的要因と社会的要因が交絡することを明らかにする格好の題材であったともいえる。

グラフ「女子のキス欲求と経験の交叉点」

図2-2 女子のキス欲求と経験の交叉点 出典:(朝山 1957: 65)

4. むすび

 朝山はその遺稿(朝山 1979)において、1940年代後半から70年代まで行ってきた自身の研究の知見をもとに、また欧米の研究動向も踏まえて、戦後日本における青少年の性行動に関する見解を次のように総括している。すなわち、青少年の性の心理や行動の発達には時代にかかわらず一定の序列的なパターンがあるが、その累積経験率という数量的側面はその時代の社会的要因によって影響されるという研究の開始当初の仮説(朝山 1949)はその後の調査によっても支持された。それと同時に、性的欲求を行動に移す動機(イニシアティブ)には、どの時代でも男子の能動性と女子の受動性というパターンが一貫してみられるという。

 そのうえで、近年の青少年の性行動には3つの顕著な傾向がみられるという。

 第1は《促進現象》であり、男女とも性的欲求や関心をより低年齢で行動に移す傾向がみられるようになった。また、第2に性的関心や欲求という心理的側面の発達がとりわけ女子において顕著に促進された結果として、性の心理では男女の差異が縮小するという《収斂現象》が見られるという。さらに、第三に女子の性的経験(行動)の累積経験率が男子を上回るという《乗り越え現象》も一部で現れ始めた。たとえば、1978年の関西地区の大学生の調査では、図2-3に示したように、デートの累積経験率では15歳までは男子で37%、女子で30%であったが、女子では14歳以降にデート経験率が急激に上昇し、16歳で男子の経験率を上回る(図2-3の矢印)。さらに18歳では男子の63%に対して、女子では69%となっている。他の性行動では、キス経験も女子の18歳以降で《促進現象》が著しいため、累積経験比率の性差が縮小していくという《収斂現象》をみてとることができる。

グラフ「性的経験の性差」

図2-3 性的経験の性差(1978年関西地区大学生調査:累積経験率) 出典:(朝山 1979:13)

 朝山によれば、この3つの現象はいずれも慣習的な性道徳が解体し、主として女子の性が解放されたことによるものであり、欧米諸国でも一般的に観察される現象であるという。したがって、今後は欧米に倣って科学的知見にもとづく正しい性知識を教育に採り入れていくことが急務であると結んでいる(朝山 1979: 17-8)。

付表

調査表一覧

【注釈】
(1) 第1回の調査委員は、朝山のほか、黒川義和(大阪府科学教育センター研究調査部主幹=当時・以下同じ)、篠崎信男(厚生省人口問題研究所人口政策部長)、田能村祐麒(東京都新宿区教育委員会指導室長)、間宮武(横浜国立大学教授)、村松博雄(医師・医事評論家)であった。

(2) これについては、ルイ・パストゥール医学研究センターの宇野賀津子・主席研究員の示唆を得た。また、朝山(1957: 225-9)にこれを裏付ける記述がある。

(3) 山本宣治(1889-1929年)は、東京帝国大学理学部を卒業した動物生物学者で、1921年から24年まで京都帝国大学医学部講師を務めた。その間、またその後もM.サンガーの影響をうけ貧困の原因となる産児制限を提唱したが、当時の産児制限の根拠とされた「優生学」については一貫して反対した。さらに山本は左翼運動家としても活動し、京都学連事件(同志社大学構内の掲示板に軍事教育反対運動のビラが貼られているのが発見されたことが発端となり警察部特高課によって全国の大学の社研の学生が検挙され、教員では京都大学の河上肇、同志社大学の山本宣治、関西学院大学の新明正道らに対しても家宅捜索が行われた事件)によって、1926年に同志社大学を辞任し、1928年には第1回衆議院の第1回選挙で当選を果たすが、その翌年、治安維持法に反対していたため元警察官の暴漢に刺殺されている(村上 2010: 136-7)。

(4) 性への関心の端緒については、朝山(1957)に記述がある。それによれば、京都府立第一中学(現・京都府立洛北高等学校・附属中学)時代、自分の性に目覚めた朝山が「毎日、代数や物理を習うのだが、なぜ、いまもっとわれわれに切実な問題であるセックスについて教えてくれないのか」、また性についての「体系的な学問や指導がないのか」と疑問をもち、それを自分なりに考究しようと大学に入った。京都帝国大学では、発生学の岡田要教授(イモリの形成体や動物の雌雄性を中心とした実験発生学者、のちに日本動物学会会頭、国立科学博物館長などを歴任)からどんな問題に取り組みたいかと問われ、「イロケの問題は学問になりませんか」と答えた。実際の人間の性行動の調査は当時できそうにもなかったので、岡田からはとりあえず性の転換をテーマにするよう督励された。それは朝山の当初の問題ではなかったにせよ、このテーマはその後、性現象の全体を理解するうえで役に立った、という。

(5) こうした規範の解体期には個人の欲望が昂進し、その肥大した欲望を実現できない焦燥感や不満から、自殺や犯罪・非行などが増加する現象を20世紀初めの社会学者E.デュルケーム(Durkheim 1930=1985)は「アノミー」と呼んだ。ただし、彼は逸脱現象をのちに「社会構築主義」と呼ばれる枠組みから捉えていたことにも注意が必要である(片瀬 2022)。

(6) この調査実施にあたっては、今西錦司や梅棹忠夫ら京都大学理学部動物学教室の行動論研究グループらの協力を得ている、と言われる(斎藤 2010: 177)。朝山によれば、キンゼイのレポートを読んだのは1949年のことだったので、この1948年の調査の際にはキンゼイの調査は参考にしていないという。

(7) 特殊飲食店とは、1946年、公娼制廃止後、占領軍(GHQ)の指示により風俗取締り対策として指定された売春宿の名称に他ならない。「廃娼」といっても公娼地域はそのまま「特飲街」という私娼地域として存続し、売春婦は従業婦とよぶ居酒屋の酌婦、カフェの女給(ウエイトレス)等に偽装させられた。現在のソープランドなどにおける風俗営業に相当すると考えられる。

(8) その具体的な施策は、まず女子の教育指導(「正しい男女交際の指導」「性道徳の昂揚」など)、また「文化的啓蒙」すなわち文化活動への介入ともいえる「有害出版物・映画の改良」、各種集団(学校・工場など)での良質な娯楽の提供などがあがっている。

(9) この男女共学は、新制高校の発足に当たって、GHQが学区制・総合制と並んで示した3原則の1つである。ただし、その後、男女の教育機会の均等という新制度の原則とともに「地方の実情」も尊重して採用されるべきとされた(https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317746.htm)。そのため、2022年度の文部科学省「学校基本調査」をもとに集計した結果(おおた 2024: 31)によれば全国の高校4,791校のうち、共学校は4,408校で92.0%であり、男子校は99校(国公立16校、私立83校)の2.1%、女子校は269校(国公立31校、私立238校)で5.6%(残る15校は生徒が在籍していない学校)となっている。

(10) したがって、斎藤(2010: 51-4)によれば、文部省社会教育局『社会教育における純潔教育の概況』(1967年)における「答申」の制定過程の記述は、こうしたGHQの影響に触れていない点で正確さを欠くものであった。

(11) ところが、その後、1950年代には、子どもの「性」をめぐる問題状況がメディアで報道され始めた。たとえば、神崎清「山中の子どもを救え」(『教育評論』1951年、後に「神崎レポート」と呼ばれた)では、米軍基地周辺(山中湖キャンプ場)に集まる「パンパン(私娼)」が地元の子どもたちに悪影響を与えている事例が詳細に報告された。同様に、横須賀や佐世保基地周辺のレポートも、1952年には週刊誌などに掲載された、という。しかし、そこでは被害者ともいえる女性の「処女性(純潔)」のみが焦点づけられ、加害者である男性(アメリカ兵)が等閑視されていた(斎藤 2014:26-7)。この点では、当時の「純潔教育」は、マスコミの論調においても「男女平等」とは言えない偏ったものであった。またこの時期、公立中学校は共学化を達成、高校進学率は50%台となり、そのうち7割が共学であったため、共学化が性非行の原因とする見解もメディアに現れ始めた。

(12) この論考は、1978年にローマで行なわれた第3回国際性医学会議で朝山が発表したExisting State and Future Trend of Sexuality in Japanese Youthを朝山の死後に翻訳したものとされる(日本性教育協会 1979)。

(13) 朝山(1957: 11)では自身の研究を「人間生物学(Human Biology)」と呼んでいる。

(14) 朝山の「男女大学生の性生活」には「これは昭和27年秋から28年の暮れにかけておこなった大学生の性調査の記録によっている」という副題が付されている(1957: 57)。この期間は、「性生活調査票E」によって、朝山が大学生を中心に精力的に性行動調査を行っていた時期にあたる。なお、朝山(1957: 14)では、1948年の最初の調査で対象となった大学(旧制大学・予科・高校・専門学校級の学校)について、男子は官公立2校、私立4校、女子は公立2校、私立3校の協力を得た(いずれも京阪神地区で理系・文系を含む。この時期は学制の移行期なので旧制大学・予科などの学生もいた)、と記述している。大学生については自身の授業のほか同僚または知己に依頼して授業で調査票を配布していた。

(15) その後の「青少年の性行動全国調査」で新たに付け加えられた主要な項目としては、性のイメージ(第3回調査,1987年)、性被害経験(第4回調査,1993年)、性別役割意識(第5回調査,1999年)、情報機器(自分専用のテレビやPC、ゲーム機や携帯電話・スマートフォンなど)の保有・利用状況(第6回調査,2005年以降)などがある。これは青少年の生活世界の変容を反映すると同時に、その後の調査が性差の発達心理学者の間宮武や、社会学者の原純輔らによって担われていったという経緯もあると考えられる(片瀬 2023: 1-3)。

(16) なお、より厳密に中央値(50パーセンタイル)を計算するには(Bohrnstedt and Knoke 1988=1990: 44-46)にある式を用いる。

(17) こうした性的関心の発達の後傾化は、その後の「青少年の性行動全国調査」でも確認されている。林雄亮(2018: 19)は第7回調査(2011年)までの性行動調査における男子の性的関心の経験年齢と出生年、調査時点の情報をもとに、出生コーホート別・年齢別の性的関心の累積経験率を推定している。それによると、15歳時点での男子の性的関心の累積経験率は、1957-69年の出生コーホートでは91.2%だったが、1970-79出生コーホートでは83.5%、1980-89出生コーホートでは82.7%、さらに1990-98出生コーホートでは65.0%と低下の一途をたどり、性的関心という性意識については戦後世代で後傾が顕著であることがわかる。

(18) こうしたキス経験のイニシアティブの非対称性は、その後の「青少年の性行動調査」でも継続的に確認されている。最初のキス経験のイニシアティブを高校生に尋ねた回答を時系列的に見ても、「自分から」という回答は、男子では32.5%(1993年)、35.0%(1999年)、31.0%(2005年)といずれも3割を超すのに対し、女子では2.8%(1993年)、2.8%(1999年)、2.7 %(2005年)にとどまっている。これに対して、「相手から」は、男子では12.8%(1993年)、17.2%(1999年)、16.8%(2005年)と2割以下であるのに対して、女子では65.0%(1993年)、66.0%(1999年)、69.7 %(2005年)といずれも男子を大きく上回っている(片瀬 2007: 37)。

【引用文献】
朝山新一,1948,『性の現象』臼井書房.
――――,1949,『現代學生の性行動』臼井書房.
――――,1957,『性の記録―戦後日本人の性行動を科学的に調査した資料に基づく』六月社.
――――,1967,『性教育—教師と両親のためのテキスト』中央公論社.
Bohrnstedt, George W. and David Knoke,1988,Statistics for Social Data Analysis,2nd.ed.,F.E.Peacock Pub.(=1990,海野道郎・中村隆監訳『社会統計学:社会調査のためのデータ分析入門』ハーベスト社).
Giddens, Anthony,1992,The Transformation of Intimacy, Polity Press(=1995,松尾精文・松川昭子訳『親密性の変容 : 近代社会におけるセクシュアリティ、愛情、エロティシズム』而立書房.
Durkheim, Emile,1930,Le suicide : étude de sociologie. Presses universitaires de France(=1985,宮島喬訳『自殺論』中央公論新社).
林雄亮,2018,「青少年の性行動・性意識の趨勢」林雄亮編,『青少年の性行動はどう変わってきたか―全国調査にみる趨勢』ミネルヴァ書房: 10-40.
片瀬一男,2007,「青少年の生活環境と性行動の変容」日本性教育協会編『「若者の性」白書―第6回青少年の性行動全国調査報告』小学館: 23-48.
――――,2019,「機能分化社会における性愛の消滅?」『東北学院大学教養学部論集』180: 1-27.
――――,2023, 「巻頭言「青少年の性行動全国調査」の展開」『社会学研究』108号: 1-3.
――――,2022,「「生命の安全教育」の社会学-すべてはデュルケームに始まる」『たのしい体育・スポーツ』秋号: 58-63.
――――・高橋征仁・阿部晃士,2015,『社会統計学ベイシック』ミネルヴァ書房.
Kinsey, Alfred C,1953,Sexual Behavior in the Human Female, Philadelphia, W.B. Saunders(=1954,朝山新一ほか訳『人間女性における性行動』コスモポリタン社).
小山静子,2014,「純潔教育の登場:男女共学と男女交際」小山静子ほか編『セクシュアリティの戦後史』京都大学学術出版会: 15-34.
日本性教育協会,1979,『日本の学生の《性》―その現状と将来の動向』日本性教育協会.
Money John and Patricia Tucker, 1975,Sexual Signatures: On Being a Man or a Woman. Harrap Publishing Group Ltd, (=1979, 朝山新一訳『性の署名: 問い直される男と女の意味』人文書院.
斎藤光,2010,「朝山新一」 村上陽一郎編『日本の科学者101』新書館: 176-17.
――――,2024,「純潔教育委員会の起源とGHQ」小山静子ほか編『セクシュアリティの戦後史』京都大学学術出版会: 35-55.
田代美江子,2001,「戦後改革期における 「純潔教育」」『女子栄養大学教育学研究室紀要 : 「教育とジェンダー」研究』3: 26-38.
――――,2001,「戦後「純潔教育」実践の展開:第1回全国純潔教育研究集会を中心に」『女子栄養大学教育学研究室紀要 : 「教育とジェンダー」研究』 3: 26-38.
村上陽一郎,2010,「山本宣治」村上陽一郎編『日本の科学者101』新書館: 136-7.

JASE e-booklet朝山新一の性科学と性教育

第2章 朝山新一の性行動調査