
コラム4
可視化された性とからだ-科学的性教育ことはじめ
池上 千寿子
封印されていた性とからだ
妊娠、授乳、育児についてはいくつか本がでていました。でも、女のからだに特有なほかの問題についてはどうしたのでしょう。
(産科婦人科の女医の)だれかが、仲間である女たちのために、正直で事実に基づいた本――女と女の問題を子どもを産むという能力だけから考えるのではなく、さまざまな女のからだの問題をつなぎ合わせるような本――を書かねばならないと思いました。
この本は、信頼できる医者の代わりでもなく、治療を自分でやるテキストでもありません。この本は女としてのあなた自身とあなたのからだの問題を、いっそう理解するための土台なのです。
わたし自身一人の女として、女のからだの問題をあなたと同じようにもっている女として、心をこめて書いたのです。
1974年11月 Lucienne Lanson
この本のタイトルは “From Woman to Woman”、書店で飛び込んできたそのタイトル、すぐに買って一気読み、専門用語に悩まされることもなくQ&A形式でスイスイと頭に入った。
「なんと、私のからだってこんなに素晴らしかったのか!」
1975年メキシコで開催された第1回国際婦人年世界会議に参加してサンフランシスコに移住して出会ったこの本、30歳を目前にして初めて女の、自分のからだを肯定できた瞬間だった。
当時、日本でも、女のからだについての本といえば妊娠、出産と更年期障害ばかりだった。他にどんな情報があっただろうか。「女は月経に縛られ、男は月給に縛られる」当時の男性有識者のこんな言葉には苦笑いしかない。「ここは男の社会だよ」「女は毎月不安定(月経)になるから責任ある仕事はできない」「結婚して子を産むのが女の仕事」……など、69年に大学を卒業し仕事を探していた私は、どこに行ってもこんな言葉ではね返された。とうてい納得できない。反論したい、しかし反論する武器がない。女の性やからだは本当はどうなっているのか、からだや性についての科学的情報はほとんどなかったと言える。
60年代に湧き上がった新たな女性運動は、世界一豊かで幸せなはずだと言われたアメリカの主婦たちが「あなたの悩みや不安は女らしさの欠如」だと男の専門家に決めつけられ、これに業を煮やして立ち上がったことから始まる。女のからだ、とりわけ性についてじつは何もわかってはいない。あるのは誤解や偏見だらけじゃないか。そう気づいた女たちは集まり行動を起こした。自分たちだけで邪魔されずに(安心して)本音を語り合おう。国際婦人年世界会議はそんな機運の中で盛り上がった。
サンフランシスコでは、ある母親と娘が女だけの小規模なワークショップを展開していた。そのテーマは「見よう、触ろう、語ろう」。じつはこれ、膣スペキュラムで自分の性器を見るワークだった。当時、多くの女たちにとって自分の性器は「見るな、触るな、語るな」の場であり、「ペニスの入り口で赤ちゃんの出口だが自分のものではない」と言えただろう。でも気にはなる。色や形はふつうなのか、中はどうなっているのか。気にはなるが比較もできない。知りたいなら、まずは見てみよう、母と娘でやってみよう。女による女のための女のワークショップは性の扉を開け始めた、女のマスタベーションやオーガズム、強姦願望、ペニス羨望などが次々に俎上にのり、神話のベールが剥がされていった。
60年代後半から起きた新しい女性運動はCR(Consciousness Raising)運動でもある。 CRは意識変革、「おかしい、変だと感じたら疑問を持とう、思い込みかもしれない、口に出して語り合ってみよう」ということだと言える。ベトナム反戦から公民権運動、ヒッピーに代表される新たなライフスタイルやカウンターカルチャー、ゲイ解放運動などが登場する。既成の概念や価値観を見直したり、新たなスタイルを模索し試みたりする、そのようなうねりの中で性は秘め事やタブーではなくなってゆく。73年にはボストンの女性グループが“Our Bodies Ourselves”を発表した。女たちの生の声にイラストと解説のついた分厚い本が初めて登場した。
70年代のフェミニズム運動は、女たちが自分たちのからだ、性、歴史を取り戻す試みであったと言えるが、その象徴的な活動の一つがJudy ChicagoのThe Dinner Partyだろう。
彼女は女が女の視点で創作するというフェミニストアートを確立した。大地母神やマーガレット・サンガーなど39人の誇るべき女たちを招待したディナーテーブル、39人それぞれのメインの皿に描かれたのは彼女の存在や意味を表象する女性器なのだ。女性器は「見るな」から「見てもよい」になり一気に公然展示のアート作品になった。5年の歳月をかけて多くの女たちが参加したこの作品は1979年サンフランシスコ近代美術館に展示され文字どおり衝撃を与えた。1973年アメリカ連邦最高裁は妊娠中絶を合法化し、女性のからだに起こることは女性のプライバシーであると宣言した。自分のからだや性に、政治も法律も宗教も介入できないというわけだ。
性と科学 データとイラストによる可視化
からだや性について冷静に取り上げよう。科学の光を当てよう。このような動きは100年以上前からあった。1940〜50年代にはキンゼイ報告が世界の耳目を集めた。アルフレッド・キンゼイたち3人の研究者がアメリカ人の男女を対象に性行動についての具体的な大規模聞き取り調査を実施し、そのデータをまとめたのだ。「気にはなっているが他人には聞けない」「自分はこうだが、これでいいのだろうか」「隣人はどうなの?」、自分の性の意識や行動についての普遍的あるある問題をデータで一気に可視化してみせた。マスタベーション、初体験、性交回数、相手の数、同性との触れ合いなど、莫大なデータの中で「自分は一体どこにいる、自分は普通かそうでないか」がデータとして「見えてくる」。数字ばかりで解説もないが、特に女性版キンゼイ報告はベストセラーになった。
本ブックレットで検討してきたように、日本でも朝山が本格的性行動調査を開始し、「日本のキンゼイ」と言われた。戦前にも山本(宣治)・安田(徳太郎)調査がある。性の科学を志す専門家は日本にも登場していた。
そして1977年、イギリスのダイヤグラム・グループが“Woman’s Body”を発表する。
その前文は:
長い間、あまりに長い間、女性たちは自分たち自身のからだの変化にまつわるタブーやミステリーの犠牲者でした。月経、セクシュアリティ、妊娠、閉経、老化などのからだの変化に対して、わたしたちはしばしば混乱し、恐れをいだき、ときには嫌悪するほどでした。「ウーマンズ・ボディー」の目的は、わたしたちのからだの機能と変化のすべてを、偏見にとらわれることなく、ストレートにあらゆる女性たちに説明することです。もっとも複雑なからだのシステムを、だれにでもわかりやすくすることです。
前年1976年に発表された“Man’s Body”の前文は、
男性のからだは、男性自身にとってミステリーであることがふつうです。この本の目的は、そのミステリーのいくつかを明らかにすることです。
“Woman’s Body”の前文とはだいぶ温度差があるが、キンゼイ報告と同様に売上は女性版が男性版を凌駕した。
“Body”の面目は正確かつ明快なイラストによる可視化である。性器はからだの一部であり、そのしくみや機能はこうだ、ということが一目瞭然になった。性器が他のからだの部分とまったく平等に扱われてもいる。
二つ例をあげよう。
一つは、子宮内で胎児の性器が発達するプロセスのイラスト。これはかなり複雑なプロセスだが、イラストは単純明快だ。男女の性別は誕生時に外性器の違いで判断され指定されるわけだが、オスの性器とメスの性器はもともと別物というわけではない。受精時には性別の違いはない。性器の原型は一つであり、胎内で発達する途上で内性器と外性器がオス型かメス型に分化してゆくだけなのだ。それがこの1枚のイラストで明かされる。見た目は違うがそもそもは同じもの、それがオスとメスの性器なのだ。性器の違いは決定的で、だから男と女は「違う存在」だという従来の価値観は、この1枚のイラストで大いに揺さぶられる。

図1『ウーマンズ・ボディー』p10 A03 性差
もう一つの例は 受精のイラストだ。

図2『ウーマンズ・ボディー』p65 D03 受精まで
1980年9月日本語版『ウーマンズ・ボディー』が発売された。その直後、この受精のイラストが朝のテレビ番組で紹介された。「こんな本が出ました!」司会の女性が受精のイラストを手に「すごいですね、はじめて見ました!」。説明は不要だ。日本語版『ウーマンズ・ボディー』はあっという間に30万部超えのベストセラーとなった。
1980年には富士見産婦人科病院事件が起きている。最新検査や豪華なラウンジで評判の富士見産婦人科病院で「子宮がん」と診断され摘出された子宮や卵巣の多くがじつは「異常なし」であったという事件だ。元患者63人が訴訟を起こし(原告勝訴99年、04年確定)、「正常な子宮を返せ」という原告たちの抗議行動が盛んに報道された。女たちの間では、自分のからだとその機能や状態についてあまりにも無知ではないか、という反省が広がってもいた。以来、受精のイラストは多くの媒体に登場した。
このブックレットでも示されたように、この受精のイラストと同様のイラストは、朝山ら専門家によってすでに性教育用スライドとして使用されていた。それを一気にテレビを通して茶の間に広げたのが『ウーマンズ・ボディー』だとも言える。
1972年には日本性教育協会が設立され、1974年に青少年の性行動調査が開始され現在も継続されている。朝山は科学的に性をとらえ、その知見をもとに実践的な性教育を構想する先達と言える。こうして、80年代初めには、宗教的心情や道徳、文化的価値観によるのではなく、まずは科学としてのからだと性、それをしっかり知ることの必要と大切さが広く認識され、従来の純潔教育とは異なる科学的性教育の環境が整ったと言えよう。
そしてエイズが登場する。この新たな性感染は同性愛とセックスワークという無視・軽視されがちだった性のテーマを改めて表出させた。これに対して「結婚するまでは純潔を」路線の揺り戻しが起きるが、性感染とその予防、つまりはヘルス・健康の課題としての性教育の必要性が認識され性教育を後押しもした。さらにはジェンダーフリーをめぐるバックラッシュがあり、科学的性教育は過激というレッテルを貼られたりもした。性教育はまことに順風満帆とは言えないのである。
であればこそ、「原点に戻れ、初心忘るな」であろう。本ブックレットは先人朝山の業績を後世に手渡すものであり、性教育に携わる者を大いに励まし力をつけてくれるだろう。
【引用文献】
・ルシエン・ランソン (訳)池上千寿子(1978)『ランソン先生のからだの本』亜紀書房.
・ダイヤグラム・グループ (訳)根岸悦子・池上千寿子(1980)『ウーマンズ・ボディー』鎌倉書房.
・ダイヤグラム・グループ (訳)根岸悦子・池上千寿子(1981)『マンズ・ボディー』鎌倉書房.