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編集・発行/日本性教育協会(JASE)

朝山新一

コラム3

性の決定をめぐる、ジョン・マネーと朝山新一の関係

宇野 賀津子

朝山のJ.マネーへの思い

 1974年の国際会議(パリ、第1回国際性医学会議)から帰ってきた朝山は、とてもすごい発表があったと興奮気味に話していた。それは、ペニスを失った男の子を、女児として育てた事例についてのジョン・マネーの報告であった。大阪市立大学を卒業し、京都大学の動物学教室(発生生物学専攻)に進んだ筆者は、朝山の教え子であり、後輩でもあり、性科学にも興味をもっているということで、目をかけてもらった。

 朝山からは京都での講演会の案内はがきが、時々送られてきた。「○月○日、○○で話をする」とそれには書かれていた。その頃、修士課程の院生であった筆者は、小さな研究会で、朝山からマネーが発表で紹介した写真を見せられた。前述の事例、デビッド・ライマーの、かわいい服を着た写真であった(マネーの発表のスライドを写した写真)。その写真を見せながら、出生後18か月ぐらいまでの教育は、その後の性自認に特に大事だと朝山は語った。ともかく、朝山はマネーの仕事を高く評価していたことは確かであった。

 その後、マネーとパトリシア・タッカーが出版した『Sexual Signatures on Being a Man or a Woman』(1976年)を、朝山は長男の耿吉、春江夫妻と翻訳することになる。ところが朝山は、1978年に国際性医学会議から帰国後、急逝する。翻訳はご子息夫妻によって引き継がれ、人文書院から1979年に『性の署名』として出版された。

 ただ、朝山からは、生後、特に3歳ぐらいまでの育て方が大事と聞いたが、マネーのように、生まれてから心の性は決まると聞いた記憶はない。ただし、副腎性器症候群など、性が曖昧な形で生まれてきた子どもたちの研究において、生後の育った環境の影響を重要視したマネーの報告について、朝山は高く評価していたと記憶している。

 今回、この原稿を書くために、筆者は改めて時系列で朝山とマネーの性分化に関する記述を追ってみた。図1は1977年11月に発行された日本=性研究会議会報第1巻第1号の「人間の性形成:個体発生からみた性分化」に書かれた図である。日本=性研究会議は、性科学の学会として立ち上げられた。この図は、朝山の亡くなる前年に書かれた図である。この中で、朝山は「性を構成する要因を生物学的要因と社会的要因の二つに分断した仕方で研究を進めるのでなく、その総合の場で追及するならば、われわれはよりよく、人間の性の本質に近づけるだけでなく、人間のつくりだすきわめて多様な性の社会現象を、正当に理解する道に立つことができるだろう。」と書いている。ほぼ同様の図は、JASEセクソロジー・シリーズNo.3として、1975年に発行された『人間の性―その特質と性形成―』(日本性教育協会)にも、記載されている。中にはジョン・L. ・ハンプソンの「認定された性と性の役割」の図を示して、4歳までに性の異常に気づき対応した場合は本来の性に変えられるが、以降は難しいことが紹介されていた。さらに、この小冊子にはマネーの「ペニスを失った男児を女性として育て、女性として再認定した症例」についても紹介されていた。

人間の性形成

図1 人間の性形成:受精卵の発生から成人の性自認まで

 一方、1974年のパリの学会のマネーの発表で使われたヒトの性分化についての図が、朝山によりスライドとして保管されていた。ここでは、1980年に発刊された『Love & Love Sickness』の図、ジェンダー・アイデンティティ/ロール(G-I/R)の発達順序と分化)(図2 日本語訳本より)を紹介する。これには新しく発見されたH-Y抗原についても紹介されているが、1974年に最初に朝山が学会で見たものと基本的には同じである。マネーは胎児段階での胎内ホルモンの影響を全く無視していたわけではないが、生まれてからの教育にウエイトを置いていたと見て取れる。

ジェンダー・アイデンティティ/ロールの発達順序と分化

図2 ジェンダー・アイデンティティ/ロール(G-I/R)の発達順序と分化(J.マネー『Love & Love Sickness』より)

「人間の性形成 ASAYAMA’76」と書かれている図3は、朝山が講演の場でよく使っていた図で、亡くなる直前の朝山のスライドを筆者が写したものである。

人間の性形成

図3 人間の性形成

 この図には、

成人の性行動の型SB=f (A,B,C,D)
(A)胎児の性(精巣/卵巣)
(B)インプリンティング(生まれてからの)学習
(C)前思春期の性経験
(D)思春期の性経験

と書かれている。

 基礎研究者としての大阪市立大学での朝山の研究は、「未分化の生殖原基から精巣あるいは卵巣への分化」である。朝山の他の図でも、大人の性の形成に生まれる前の影響を無視したものはない。

 これらの図を確認して、朝山は、マネーを高く評価していたのは事実であるが、胎児期のホルモンの影響を、無視していたわけではないと、改めて理解した。

 その後、性の決定は、生まれる前か、生まれてからかの論争(男と女の違いは、どこまでが生得的で、どこからが環境によって作られたものか「Nature vs Nurture」 論争)は、1970年代後半から1980年代になると、ジェンダーフリーの運動と相まって盛んとなる。この頃、フェミニストやジェンダーフリー論の科学的証拠とされてきたのは、文化人類学者のマーガレット・ミードの部族社会毎の「男らしさ・女らしさ」の逆転例と、マネーによって示された「双子の症例」であった。従って、朝山が訳した『性の署名』は、ジェンダーフリーの運動のバイブル的書籍となっていた。

 朝山がマネーの報告にとても感銘を受けたと言い、本の翻訳も約束もした一方で、同時期に作ったスライドに、生まれる前の段階での影響をきちっと書いていたことを改めて確認した時、筆者には感慨深いものがあった。今回、一連の朝山のスライドや論文の図を再調査してみて、朝山はやはり生物学者であり、科学的エビデンスを重視する科学者であったと思った。

 1982年に英国メディアのBBCがドキュメンタリーの中で“マネーの双子”症例への疑問を提起し、この子は思春期よりジョンズ・ホプキンス大学での治療を拒否し、当時、男性(John)として生活していることを明らかにした。1995年に第12回世界性科学学会が横浜で開かれ、マネーも来日したが、“マネーの双子”については一切言及しなかった。JASE主催のマネーの講演会にも参加した筆者は質問した覚えがあるが、やはり答えなかった。

 この話はさらに続く。日本でも、ジョン・コラピントの邦訳本が『ブレンダと呼ばれた少年』(無名舎 2000年)として出版された。これはあまり注目されなかったが、その後、ジェンダー・フリー・バッシングの動きとともに、再度2005年に扶桑社から復刊される。「生後8か月の男の子がモルモットにされた!」という帯とともに、ジェンダーフリーの「嘘」を暴いた本書の意義という八木秀次氏のコメントが加えられていた。この子は15歳で男性に戻り、25歳で子持ちの女性と結婚、そして2004年に38歳で自ら命を絶ったということも聞いた。マネーはこの件について、晩年何も語らなかったそうだ。一説には家族から話すのを止められているらしいと伝え聞いたこともある。

「女性とは何か」との出会い

 一方、筆者は、『Le Fait Feminin』(1978年刊)の翻訳にかかわることとなる。社会学者のエブリーヌ・シュルロとオゼット・チボーを中心に、ノーベル生理学・医学賞受賞者のジャック・モノーの後押しで、世界中の「性」の研究者を一堂に集めて1976年にパリで開かれたシンポジウムの報告集である。京都大学理学部動物学教室の博士課程の学生であった筆者に、女性研究者仲間のフランス文学者・西川祐子さんから、『性の署名』に続く本として、人文書院から頼まれたということで、生物医学的な内容の検証を手伝ってほしいと声をかけられ参画する。当時の動物学教室には、動物行動学の日高敏隆、生態学の川那部浩哉、人類進化論の伊谷純一郎がいて、いろいろと動物の生態について直接話を聞いていた。1980年頃は、マネーの話や、男女共同参画、女性のエンパワーメントの動きがあり、性差を認めることは時代に逆行するという雰囲気があった。しかしながら動物学教室では、性差というのはあって当たり前のことであり、特に極端な性差否定論には、多くの研究者は辟易していた。動物行動学の日高敏隆は語学に堪能なことから、筆者はよく動物の名前を聞きにいき、性差について彼と議論した。動物学をしていたら、性差は大なり小なりあって当たり前、性差がないと躍起になって否定するのはいかがなものか、という考えで一致した。

『Le Fait Feminin』は『女性とは何か』と題して日本語訳版が1983年に発刊される。性差が世界中で話題になっていたときに、性差を認めることは女性にとってどうなのかということを議論するために、多分野の専門家を一同に集めてシンポジウムを開いたのである。このシンポジウムの時にはモノーはすでに亡くなっていた(1976年没)。1988年秋、京都パストゥール研究所(現:公益財団法人ルイ・パストゥール医学研究センター)の竣工記念式典に来た、パリのパストゥール研究所の研究者(J.モノーの研究室)にこのシンポジウムのことを尋ねたら、いろいろな個性がぶつかり、皆ゆずらない、大変なシンポジウムだったということだった。このシンポジウムにはマネーも呼ばれていたが、ここでは双子の症例については触れていなかった。この本の序文でシュルロは「このシンポジウムを開いてわかったことは、文化的事実を変えるより、自然に関する事実を変えるほうがやさしい。すなわち、父親を育児に巻き込むには、人工乳の開発をして女性を授乳義務から解放するほうがやさしい」と述べている。筆者もそう思い、その後の講義でも、生物学的視点、歴史的視点、社会学的視点から、女性とは何か、性差について考える授業を、25年にわたり(2023年まで)京都大学の医学部人間健康学科で続けた。特に科学の発展は、性差を縮小したことは間違いない。本の中でシュルロは「私は次第に、特に生物学的な性差の事実の考慮を拒否し、婦人問題を論ずるという非科学的な態度は危険だと思うようになりました。現実を避けて通って、勝手な解釈をするグループを増やしてゆくと袋小路に入ってしまうという危険を感じたのです。そしてついには、生物学の専門家と協力して議論を深めた上でなければ、いかなる考察も出来ない、ましてや理論の構築は不可能という結論に達しました。」と書いている。

 1983年にこの本が発刊された時、筆者ら翻訳者はある女性グループに呼ばれて講演したことがある。講演の後、ある女性が「性差はないと言って運動してきたのに、性差はあると言われるとこれまでの論拠がなくなる!」と涙ながらに訴えられた。参加していた、当時から文系の女性運動のリーダー的な人は「私は、性差がないと言うほうが運動が進むなら、ないといい、あるというほうが運動が進むならあると言う」と言っていた。その時筆者は、「ジェンダーフリーの理論的裏付けって、そんな程度なの」と思って、少しむっとしたのを覚えている。この言葉は後の日本でのバックラッシュの動き、科学に基づいた最低限必要な性教育さえできなくなった動きと併せて考える時、重要かと思う。

ジェンダーフリーとバックラッシュ

 実際、2001年頃から性教育に対する攻撃が強くなっていった。公益財団法人母子衛生研究会が作成した『ラブ&ボディBook』は、避妊について性行為を必要以上に許容する印象であり、教材として不適切だと東京都が問題にしたのをはじめとして、バックラッシュがきつくなり始めた。また、2003年、東京都立七生養護学校(日野市、現・東京都七生特別支援学校)の性教育を巡り、都教委が「不適切な性教育をした」と教員13人を厳重注意とした。同校では知的障害児にわかりやすい授業をしようと、性器の名称が入った「からだうた」を歌ったり、人形を使ったりする性教育が実践されていた。この活動は過激な性教育の典型例と紹介され、「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム委員長、安倍晋三」等により批判された。特に2005年頃から過激な性教育、ジェンダーフリー教育に対するバックラッシュがきつくなる。『ブレンダと呼ばれた少年』が復刊されたのも同時期である。そして、学校現場で避妊はおろか、性について語ることが困難となった。都立七生養護学校の教員処分については、2009年には東京地裁で「都議らの行為は政治的な信条に基づき、学校の性教育に介入・干渉するもので、教育の自主性をゆがめる危険がある」として七生養護学校側が勝訴し、2013年には最高裁判所が上告を棄却し判決が確定している。しかしながら、2005年以降、必要最小限の性教育さえ難しくなり、ユニークな性教育を行っていた人々の動きが鈍り、今なおその状態は続いていると思われる。

 当時、日本の性教育がバックラッシュにあらがえなかったのは、ジェンダーフリー教育自体が、科学に基づいていないところに弱みがあったからだと、筆者は考えている。それに加えて、ジェンダーフリー運動にかかわる人たちの中には、声高に叫ぶことでより有利に進むと考えた者がいたことも、バッシングの矛先が向けられる引き金になったのではなかろうか。その結果、科学的真実や生物学的事実に基づいた性教育が行えなくなったばかりでなく、子どもたちに本当に必要とされる性教育や知識でさえ、学校教育の場で扱うことができなくなってしまった。科学的根拠に基づかないジェンダーフリー教育の広がりや、「Nature vs Nurture」論争をめぐる性科学の在り様を反省し、本当に必要な性の教育を進めていければと考える。 

40年ぶりの朝山資料との出会い

 2018年の夏、国立民族学博物館(民博)で朝山が残した数々の資料と出会うことになる。朝山の書斎の資料が、梅棹忠夫氏が館長を務めていた関係で民博に一括して寄贈されたのは、朝山が亡くなった直後から聞いていた。JASEの運営委員の片瀬一男氏から第1回の性行動調査の資料がJASEにないと聞いたとき、民博にあるかもしれないと伝えた。いくつかのつてを辿って、関係者へ問い合わせをしたら、民博から朝山の資料が存在すると返事をもらった。民博に行き、いくつかの箱を開けてみると、懐かしいスライドの原図などもあり、後日片瀬氏等と民博を訪れ、箱を一つ一つ開けて中身をチェックした。遠い記憶にあった、朝山の書斎にあったものが全部そのまま移動して保管されているという雰囲気で、性行動調査の一部や、それ以前のガリ版刷りの調査用紙もあり、筆者が持っていたいくつかのスライドの原版もあった。さらに1975年に発刊された『青少年の性行動』という調査報告書の表紙には、集計法の不満や、学生とすべきであるのに青少年としたのはけしからんと書かれていた。

 たぶん、1975年当時、日本性教育協会内部でも、科学としての性科学をと考えていた朝山と、学校現場での性教育の普及を考えていた委員の間に意見の対立があったように思う。ジェンダーフリー教育が批判に弱かったのは、一部で科学ではなく運動論として性差を否定したことも一因ではないかと思う。本稿をまとめて思ったことは、朝山がこだわった科学としての性科学に基づいた性教育を、今一度考える時機に来ているのではないかということである。

図4(左)国立民族学博物館に保存されていた朝山資料の一部 (右)JASEに運ばれた、朝山資料の整理作業の1コマ

【引用文献】
・朝山新一. (1977)「人間の性:個体発生からみた性分化」『日本=性研究会議会報』第1巻第1号, 日本性教育協会.
・朝山新一.(1975)『JASEセクソロジー・シリーズNo.3 人間の性―その特質と性形成―』, 日本性教育協会.
・John William Money.(1980), Love and Love Sickness, Johns Hopkins Univ Pr.
・ジョン・マネー/(訳)朝山春江, 朝山耿吉(1987)『ラブ・アンド・ラブシックネス』, 人文書院.
・エヴリーヌ・シュルロ, オデット・チボー/(訳)西川祐子, 天羽すぎ子, 宇野賀津子(上)(1983)『女性とは何か』,上・下, 人文書院.

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