あとがき
朝山新一の没後、その資料が、梅棹忠夫が館長を務めていた国立民族学博物館(民博)に寄贈されたことは、ご遺族から伺っていた。片瀬一男から第1回の性行動調査の資料を探していると聞いた時、民博にあるかもと返事した。その後、以前民博にいた文化人類学の田中雅一京都大学教授に、高垣雅緒ルイ・パストゥール医学研究センター研究員を通じてお願いして調べてもらい、朝山の資料が存在することを確認した。さらに、友人の大阪大学教授の秘書が以前民博で仕事をしていたことがわかり、その人を通じて、梅棹資料室、そこから図書室の研究資料アーカイブスの担当者に繋いでもらった。2018年8月31日に私は、民博を訪れ、朝山の資料に出会った。梅棹の秘書をしていた方もいて、朝山のこともよくご存知であった。
1992年に整理され47個の箱に収められた資料の一部を開けてみると、懐かしいスライドの原図やガリ版刷りのアンケート用紙が目についた。私が手元に持っていた、朝山から撮影させてもらったスライドの原図が出てきた時は、担当者と思わず顔を見合わせた。まるで、赤い糸に導かれるように、朝山資料室に行き着いた感があった。
その後、片瀬らと再度民博を訪れ、保管された箱の中身を確認した。コロナ禍もあり、一旦資料の整理は中断したりしたが、いろいろな手続きを経て、日本性教育協会(JASE)に移管された。資料の整理が始まったのは2021年10月である。民博で丁寧に整理され静かに保管されていた資料は、東京に移され、JASEの資料室で仕分けられることになった。改めて、民博なればこそ50年近くきっちりと保管されていたのだなと思った。
出てきた資料の中に、「青少年の性行動」の報告書(1975年)がある。表紙には、以下のような殴り書きが朝山によりなされていて、一同驚いた。
『この刊行物は集計のとり方などナンセンスであり、朝山にまえもってことわり(了解)をえず出した報告書であり朝山のhonourをひじょうに傷つけた。表題も“学生”とすべきであるのに「青少年」と○○らが勝手に決めたこと、また、協会と朝山の名をハズカシメタのだ。この刊行により私は、協会をやめようと思った。私以外のCommitteeのmemberが責任を果さなかったのも私の不満とするところで、やめようと思った原因の大きな一つであった。』(筆者により一部改編)

上記の話は、当時京都大学の大学院生であった私自身、朝山から何度か聞いた。JASEの冨田事務局長が東京から飛んで来たのも聞いている。当時の大学進学率は40%未満である。一方で、若い勤労者の調査もしていた朝山からすれば、大学生のデータをもって、「青少年」とくくるのは許せなかったのではと推察する(編集部注・朝山新一は第2回以降は「青少年の性行動全国調査」に参加していない)。これも朝山の、科学的であれ、とのこだわりの表れであろう。
また朝山は、総理府の後ろ盾で性行動調査ができることはとても喜んでいたが、その結果を元に、性教育マニュアルとか学習指導要項を作ることには反対していた。このことについては、かなり学校教育関係者との考えに相違があったと推察される。
今回朝山資料の整理に関わって、朝山は私が知っていた以上に幅広い調査を行っていたことを改めて認識した。朝山は大阪市立大学では発生学研究室で性分化の研究を行っていた。イモリやメダカ・ニワトリなどを扱っていて、特に精巣・卵巣の分化の研究をしていたと聞いている。したがって、性科学の研究は、データの整理などは秘書に手伝ってもらいながら、ほとんど朝山一人でしていたと聞いている。
また、今回並行して、梅棹忠夫の本も読んだ。その文章に触れて、梅棹は文系の研究者ではなく、京都大学の動物学専攻研究室出身の生態学者であることを、改めて認識した。山本宣治もまた、京都大学の動物学専攻発生生物学教室に、一時期、身を置いていたことがある。私が発生生物学教室に入ったとき、研究室の一角を指して、この辺で山宣が研究していたのだよと朝山から聞いたことがある。直接の接点は残念ながらないとのことであった。
振り返ると、京都大学理学部動物学教室の中で分子レベルの研究から、細胞学、生態学、動物行動学、人類学の幅広い多様な研究者の研究にふれることができたことを、私は嬉しく誇りに思っている。私自身は、博士号取得後、免疫学の分野に研究をシフトし1986年に新しくできた京都パストゥール研究所(現(公財)ルイ・パストゥール医学研究センター)に入所した。そして性科学からは離れたかなと思った時、エイズが広がった。パリのパストゥール研究所のモンタニエ博士がHIVウイルスの発見者であったことから、私のエイズ研究や患者支援活動への関わりは、研究所(内)ではむしろ歓迎された。その関連で外国人医療に関わったり、3.11東日本大震災・福島原発事故以降には福島でリスクコミュニケーションに関わったりした。免疫学の研究を始めた頃は、免疫学の恩師には余分なことに興味がありすぎると言われたりもしたが、福島での活動には理解をいただいた。これらの活動のベースに、朝山や日本性教育協会での活動経験の影響が大きかったことは否定しない。
今回私は、特に朝山のスライド資料の整理に関わったが、今ならスキャンしてpdfにて保存するであろう資料が、スライドで保存されていた。まだまだ海外旅行が一般的でなかった時代に行く先々で写真を撮り、興味ある講演もスライドに収められていた。また本の図も多数スライドとして保存されていた。さらにそのスライドをヒントに、朝山の性教育スライドが描かれていた。特にこだわりの部分にはメモがつけられていた。私が1971年にドイツから持ち帰った本の図も多数、スライドに収められていた。第3章で紹介したが、今回改めて、それらが1974年の性教育スライドに組み込まれていたことを確認した。新しいものをどんどん取り入れ、自分のものとしていく朝山のエネルギーに敬服である。
2024年12月
宇野賀津子